まだパンツはいてるの?

俺はプロのノーパンだ

『君たちはどう生きるか』を21歳が読んだ感想

Earlham Collegeで過ごす最初の秋学期が終わり冬休みに入ると暇を弄ぶ以外にすることがなくなった。

 

かれこれ1週間ほどそうしていると、向かいの部屋に住んでいる日本人が本を6冊ほど貸してくれた。

なんでも彼は休み中日本に帰国するので、誰もいない部屋に眠って新年を迎えるよりは人に読まれたほうが本のためだと考えたのだろう。

あるいは、暇で暇で仕方がないくらいに哀れな先輩をどうにか救ってあげたい、という後輩の気持ちが芽生えたのだろうか。ありがたい限りである。

 

そんな経緯はともかく、彼から借りた本の1つが吉野源三郎が著した『君たちはどう生きるか』であった。

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この本はもともと1930年代に出版されたものであり、戦後に読みやすくしたバージョンを多くの出版社が出している。

著者の吉野源三郎が岩波書店の常務取締役を務めたこともあり、岩波文庫から出版されたこのバージョンは著者の本意をすべて汲んでいる最適な版なのではないか、と思いながら読み進めていた。

 

主人公のコペル君(15歳)が学校などで体験した物語に続き、彼のおじさんがその話を聞いた後でおじさんなりの感想をノートに書き記す、という構成になっている。

子供でもなく、かといって大人になりきれていないコペル君によるモノの見方を、できた大人の視点でおじさんが補完するというこの構成は丸山眞男も絶賛したほどだ。

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さて、このおじさんのノートでは往々にして「人間らしく」生きるとはどういうことか、について書かれてある。

特に6-8章の3章は友との果たすべき約束や責任のとり方などについて描かれている。おじさんの言葉を引用すると、

だからね、コペル君、ここは勇気を出さなけりゃいけないんだよ。どんなにつらいことでも、自分のした事から生じた結果なら、男らしく耐え忍ぶ覚悟をしなくっちゃいけないんだよ。考えてごらん、君がこんどやった失敗だって、そういう覚悟が出来ていなかったからだろう?一旦約束した以上、どんな事になっても、それを守るという勇気が欠けていたからだろう?

と、なかなか心にグサッとくる言葉が記されている。

 

俺は今までなにか責任を取り通したことがあるだろうか?

よく責任感が強い、といわれるが、それはハッタリの外面だけであり実際はそんなに大きな責任をとったことはないのである。

どちらかというと、責任をとるよりは責任を取らないで済むような行動を全力で考えるタイプの人間であり、不測の事態に弱いとも考えられる。

しかし、この一連の出来事や言葉から考えるに、いくら想定外でも責任を取らなければいけないときは甘えないで取らなくてはいけないのだ。

こう書いているといかにも当たり前のことのように感じるが、いざという状態でこれを遂行することはなかなか難しいだろう。

口と現実の間に高い壁がそり立っている。

 

 

しかし、これ以上に刺さった言葉がある。

それは1章でコペル君がいわゆる生産関係を彼なりに発見し、その後4章で彼が豆腐屋の浦川君の家に行った後のおじさんのノートの一部だ。

ちなみに、コペル君はなかなかの裕福な家に育っている勉強もスポーツもわりとできる一人っ子であるのに対し、浦川君は父が親戚にお金を仮に田舎へ帰らなければいけないほど貧乏で下に弟妹が2人いながら豆腐屋を切り盛りしている母の手伝いをしている。

……考えてみたまえ。世の中の人が生きてゆくために必要なものは、どれ一つとして、人間の労働の産物でないものはないじゃあないか。いや、学芸だの芸術だのという高尚な仕事だって、そのために必要なものは、やはり、すべてあの人々が額に汗を出して作り出したものだ。あの人々のあの労働なしには、文明もなければ、世の中の進歩もありはしない。

ところで、君自身はどうだろう。君自身は何を作り出しているだろう。世の中からいろいろなものを受け取って入るが、逆に世の中に何を与えているかしら。改めて考えるまでもなく、君は使う一方で、まだなんにも作り出してはいない。……して見れば、君の生活というものは、消費専門家の生活といっていいね。

……自分が消費するものよりも、もっと多くのものを生産して世の中に送り出している人たち、何も生産しないで、ただ消費ばかりしている人間と、どっちが立派な人間か、どっちが大切な人間か、―そう尋ねてみたら、それは問題にならないじゃあないか。……

……だから、君は、生産する人と消費する人という、この区別の一点を、今後、決して見落とさないようにしてゆきたまえ。この点から見てゆくと、大きな顔をして自動車の中にそりかえり、素晴らしい邸に住んでいる人々の中に、案外にも、まるで値打ちのない人間の多いことがわかるに違いない。……

無論、ここでいう「生産」とは、農作物や工業製品だけを指しているわけではないだろう。

この本が著された1930年代当初は人々の暮らしや軍に必要なものを生産している人間は偉いという認識があっただろうが、現代に置き換えてみてもサービス業だって生産とみなされるはずだ。

 

俺は職に高いも低いもないと思っている。

どんな職であれ、それを利用する客の需要に沿っているならばその客を満足させられることは素晴らしいことであり、対価を受け取るに値すると思う。

極端な話、一般に蔑まれているAV出演であれ風俗店勤務であれ、それを利用する客の需要がわかっているからこそできることであり、その生産したサービスによって満足している人の如何に多いかを考えれば立派な職ではないか。

 

しかし、俺はこの文章を読んで、客の需要に沿った生産を自分が経験していなさすぎることを恥じたのである。

もちろん、2年と少し塾講師や家庭教師として合計100人近い生徒を教えてきたし、スポーツジムでのバイトも経験がある。

また、この記事にあるように、ブログを始めてから今まで合計で149円と小学生の1週間のお小遣い以下だがいただいている。

だが、これらを通じて一体どれだけ生産と消費のギャップを埋めることができただろう?

むしろ微々たる生産をすればするほど消費も増えていき、その差はほぼ縮まらなかった苦い記憶がある。

俺はまだ学生なのでいわゆるモラトリアム期間というやつで救済されるのだろうが、ほとんど生産せずに消費ばかりする、おじさんに言わせれば値打ちのない人間の1人である。

 

では、俺は現状で何を生産できるだろう?

それはやはり、拙いながらも文章を書いて質の良い情報を俺なりに提供することぐらいだろう。

現状はこれで甘んじるしかないが、将来の就職はより多くの人に向けて生産している、あるいは享受する側は少数かもしれないがより質の高い生産を提供できるような職につきたいものである。

 

 

 

ちなみに、この『君たちはどう生きるか』は2017年に漫画版も出ている。


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活字を読むのがかったるい、という方はこちらから読み始めてみることをオススメする。