まだパンツはいてるの?

俺はプロのノーパンだ

エホバの証人の輸血禁止 ~不完全な科学から拡大解釈へ~

1985年6月、日本のメディア、医療、法律業界、そして行政が大きな議論で沸いていた。

小学校5年生の男の子が川崎市での自動車事故で両足を骨折し、セントマリアンナ大学医学部に運ばれた。医者は、彼ができるだけ早く輸血される必要があると判断したが、エホバの証人であるその少年の両親は、彼らの宗教的見地から以下の決意書を提出し、輸血を拒否した。

「今回、私たちの息子(大 10歳)が、たとえ死に至ることがあっても輸血なしで万全の治療をしてくださるよう切にお願いします。聖書にのっとって輸血を受けることはできません。」

彼は「死にたくない、生きたい」と父に訴えたが、輸血を受けずに出血性ショックのため4時間後に亡くなった。事件を放送したメディアでは、なぜ生きたがっていたその少年が救われることができなかったかについての議論がおこなわれた。

聖書の規則に反するというこの輸血の考えは、この一派に特有なものだ。他のクリスチャンのほとんどは輸血を神の支配に反するものと見なしていない。

ここでは、創世記9:4、レビ記7:26-27、レビ記7:14、そして使徒15:20の4つの節を、新改訂標準版と新世界訳の2つ聖書の翻訳において比較する。この比較は、テキストの違いによってエホバの証人が他のクリスチャンと異なる解釈をし、また新世界訳語のテキストを厳格に受け止めすぎていることが明らかになるだろう。

輸è¡ã¨è¡æ¶²åã®é¢ä¿<br>ï½éãè¡æ¶²åã¯ãªã輸è¡ã§ããªãã®ãï¼ï½

エホバの証人はキリスト教社会の中で異端と考えられている。

1870年にペンシルベニア州ピッツバーグでCharles Russellによって設立され、世界中で850万人を超える信者がいる。神、イエス、そして聖霊を同一視する三位一体説を基本とするローマカトリック教会やプロテスタントの派閥とは異なり、エホバの証人はイエスと神は異なる人物であると信じている。

むしろ、イエスは、ミカエル大天使と同じように、エホバ神によって造られた最初の人間であると考えられている。さらに、彼らは現代世界がサタン(=悪魔)の支配下にあると信じており、そしてキリストによって導かれた神の軍団との大戦争は結局最後の日に人間に対するサタンの支配を打倒するだろうとも信じている。

エホバの証人はThe New World Translation(新世界訳、以下NWT)を主な聖典として採用しているが、ほとんどのクリスチャンは、キングジェームズ版やNew Revised Standard Version(新改訂標準版、以下NRSV)などの他の翻訳を使用している。多くの翻訳がある中で、NWTは輸血を禁じる唯一の翻訳だ。

 

エホバの証人が輸血を拒絶する根拠は聖書に明示的に書かれているテキストだ。しかし、聖書の各版のテキストは所々で異なり、エホバの証人のテキストもユニークなものとなっている。

申命記12:20-28では、神は人々が望むだけの肉を食べることを許可するが、血を食べることを避けるようにに命じる。例えば、申命記12:23-24はこの教えを明白に示している。

Only be sure that you do not eat the blood; for the blood is the life, and you shall not eat the life with the meat. Do not eat it; you shall pour it out on the ground like water. (NRSV)

神が人を造り、エデンの園に入れた時も同じ構造が見られる。神はアダムにこう言った。

You may freely eat to every tree of the garden; but of the tree of the knowledge of good and evil you shall not eat, for in the day that you eat of it you shall die. (NRSV)

創世記で神はアダムに知識の木を食べると死ぬから食べるな、と警告したが、イスラエル人や神との契約を結んだ他の人々にはどうなるのだろうか。Deutronomy 12は血の扱いについて書かれているが、それを誤った場合にどうなるかについては書かれていない。その代わり、レビ記17:14にその結果が示されている。

For the life of every sort of flesh is its blood, because the life is in it. Consequently, I said to the Israelites: ‘You must not eat the blood of any sort of flesh because the life of every sort of flesh is its blood. Anyone eating it will be cut off.’ (NWT)

これから、神が動物の魂、つまり生物の根源は血にあると考えていることが読み解ける。また、神は動物の魂は神自身に帰属するとも考えている。これらの律法はイスラエル人にのみ与えられたものであるが、神がどれほど強く血の摂取を禁じたいかが示されている。

しかし、NWTとNRSVの間にはわずかな違いがあり、ニュアンスとしてどちらも受け入れることはできない。NRSVのレビ記17:14はこの通りである。

For the life of every creature - its blood is its life; therefore I have said to the people of Israel: You shall not eat the blood of any creature for the life of every creature is its blood; whoever eats it shall be cut off. (NRSV)

NRSVは血を食べることは「shall not」と見ているのに対し、NWTは「must not」としている。これら2つの意味が輸血に関しての2つの解釈につながったのではないだろうか。前者は緊急事態の場合には輸血に対して許容されるが、後者はいかなる状況下でもそれを拒絶しなければいけない、と考えると辻褄があってくる。

 

聖書の中で、人々が血を食べることは避けるべきでことであるという最初の教えは創世記にある。 神はノアとその家族に、洪水の後は食肉として動物の肉を食べるように言ったが、血を食べないように命じた。

Only flesh with its life—its blood—you must not eat.(創世記9:4 NWT)

エホバの証人はこの教えに普遍的に従うべきとみなしており、人間はすべてノアの子孫なので、すべての信者に当てはまると考えている。 しかし、創世記第9章4節でもNWTとNRSVとで先ほどと同様のニュアンスの違いがある。

Only, you shall not eat flesh with its life, that is, its blood. (NRSV)

とNRSVはしているのだ。ここでもまたNWTの「must not」なのかNRSVの「shall not」なのかという、人々が生物の血を食べることをどの程度避けるべきかという問題が生じる。 人は血を決して食べてはいけないのか、それとも血を食べないほうがよいのか。この違いによって、他人の血が必要な場合に輸血を受けることにどの程度ためらうかが決まるのだ。

 

レビ記7:26-27は、エホバの証人による輸血禁止の根拠として用いられているもう一つの聖句だ。

You must not eat any blood in any of your dwelling places, whether that of birds or that of animals. Anyone who eats any blood must be cut off from his people. (NWT)

You must not eat any blood whatever, either of bird or of animal, in any of your settlements. Anyone of you who eats any blood shall be cut off from your kin. (NRSV)

既出の2つの節とは対照的に、レビ記7:26-27は非常によく似ていて、ニュアンスにはほとんど違いはない。 レビ記17:14と創世記9:4とは異なり、両方の翻訳は、動物の種類に関係なくどんな血を食べることも禁じている。

 

エホバの証人が反輸血の立場の証拠として用いている、今回最後に紹介する聖句は使徒15:20だ。この節は、神が初期のクリスチャンユダヤ人に、彼が初期のイスラエル人にしたのと同じ規則を与えている。

[B]ut to write them to abstain from things polluted by idols, from sexual immorality, from what is strangled, and from blood. (NWT)

[B]ut we should write to them to abstain only from things polluted by idols and from fornication and from whatever has been strangled and from blood. (NRSV)

この聖句でも、翻訳のニュアンスに大きな違いはないことがわかる。

 

スポンサードリンク

 

 

 

そもそもなぜ神はイスラエルの初期の人々とキリスト教の初期のユダヤ人の両方に血を避けるように命じたのだろうか。 エホバの証人はその理由としてレビ記17:11をあげている。

For the life of the flesh is in the blood, and I myself have given it on the altar for you to make atonement for yourselves, because it is the blood that makes atonement by means of the life in it. (NWT)

For the life of the flesh is in the blood; and I have given it to you for making atonement for your lives on the altar; for, as life, it is the blood that makes atonement. (NRSV)

どちらの翻訳でも肉の命がその血の中に埋め込まれていることに同意している。生命、つまり血は神聖なものなので、人々は血を食べることを許されていないのだ。

 

ここまで、輸血はイスラエル人と初期のクリスチャンが神との間で交わした契約に反するというエホバの証人の主張を追ってきた。 NWTとNRSVのあいだでニュアンスが異なる聖句がいくつかあったが、エホバの証人がでたらめな根拠で輸血に反対していないことは明らかである。むしろ、彼らは聖書のテキストに忠実のように思える。

だが、ここでは解釈の程度について疑問が生じる。他人の血を直接静脈に血液を取り込むことは血を食べることと同じなのか?言い換えると、この単語「eat(食べる)」とはどういう意味なのか?

「血を食べる」という表現自体は不自然この上ない。少なくとも哺乳類において血液は赤い液体なので、動詞「飲む」が適切であるはずだ。ただし、2000年前の状況を考慮すると、肉に血液が含まれているため「食べる」という動詞で血液の摂取を記述することは理にかなっているとも考えられる。 2000年前の人類が肉と血を区別するのに十分な技術を持っていなかったと仮定することに不思議さは感じないだろう。

Meigata牧師は、ヘブライ語で「飲む」にあたる動詞は「שָׁתָה」であると主張している。これは旧約聖書で223回使われており、聖書の中で最初に登場したのは創世記9:21だ。

He drank some of the wine and became drunk, and he lay uncovered in his tent.

これは、「שָׁתָה」という言葉が水を飲むだけでなく、ワインを飲み酔うことまで含んでいることを示している。 「食べる」という言葉の意図が何であれ、エホバの証人がチューブを通して栄養を消費する点滴と口から食べ物を食べることは同じであると解釈し、輸血を拒否していることは事実である。

 

輸血賛成派は輸血と血液を食べることを2つの異なる現象として見ている。彼らは、エホバの証人による血に関する主張が広すぎる解釈であり説教的すぎると批判している。

賛成派は、律法に囚われすぎている者たちをイエスがたしなめる福音書を引用し、聖約の言葉を文字通りに解釈することに反対している。言い換えると、輸血賛成派は治療を輸血と結びつけようとしているエホバの証人を批判し、宗教的救済はイエスの福音に反していると主張している。

イエスが安息日に病気を治療することを許していることや(マタイ12:9-14 NRSV)、「安息日は安息日のためであり、安息日のために作られたのではない。」というマルコ2:28を根拠としている。これらの福音は律法の言葉尻にとらわれるのではなく、問題解決のために最善の方法を探るイエスと初期キリスト教徒の姿勢がみられる。

旧約聖書の律法を文字通りに解釈するものの、新約聖書のイエスによる批判を無視することで自己矛盾が生じている、と主張するのだ。

 

スポンサードリンク

 

 

 

エホバの証人による輸血を断じて拒否する極端さは、19世紀に輸血を十分に安全に行うための技術の欠如による誤解の副産物なのではないだろうか。

今日の血液の科学的概念の出発点は1628年にWilliam Harveyによって提唱された血液循環理論であると言われている。心臓は血を循環させるポンプの役割を担う器官である、という説は出血によって失われた血液を補充するという考えの基礎になっている。

この理論に従って動物から人間への輸血が試みられたが、異種間輸血はもちろん成功せず長い間禁止された。

人類学者である星野は、現代の輸血への扉を開いたできごとを1900年にLand Steinerによって血液型が発見されたこと考えている。これにより、輸血に関する事故はいくつかあったものの、1920年代にはエホバの証人が設立された1870年代よりもはるかに安全となった。

政治学者Farhad Khosrokhavarは、人々は不安を感じると思想が過激化する、あるいは偏りをみせる傾向があると主張している。19世紀後半における輸血への不信が、エホバの証人を血を決して食べてはいけないという過激な解釈を求めた理由かもしれない。NWTは1920年代以前に安全上の理由で輸血を避けたいという誘惑から輸血を禁止したのではないだろうか。これは、社会的傾向がある宗教に影響を与え、元の宗教から分岐した例といえるだろう。

 

また、エホバの証人は外部の社会と交流することがほとんどないため、輸血は危険な手術であるという考えに凝り固まってしまっている。

エホバの証人の特徴として見たように、この異端派とされる指導者たちは信者たちに、この世界は現在サタンの支配下にあると語っている。 彼らは、自身を取り巻くどんな情報もサタンが設定した罠であり、NWTに書かれていることのみを信じるべきである、と説教している。

よって、エホバの証人はインターネットを使ったり、子供たちを非信者たちの子供たちと遊ばせたりしない。新しい情報に対するこのような態度は、現在の輸血が安全であるとこのコミュニティが認めることを妨げているのではないだろうか。

 

以上のように、NWTの方がNRSVよりも初期イスラエル人の時代に神の間で交わされた律法に従うことについてより厳格な節がみられる。 エホバの証人は、厳密に訳されたテキストを他のクリスチャンの派閥よりも字句通りに解釈し、福音書を軽視している。翻訳と解釈の違いは、当時の社会の不安定さと技術の予想の副産物かもしれない。 技術の発達により、エホバの証人、またその家族が輸血を受ける必要なしに治療される機会をえられることを願うばかりだ。

 

 

原文はこちらから。

https://docs.google.com/document/d/1OeuvOLBeKXpwseh_IYWGPqV5UytkJwuPQF3foavEG6g/edit?usp=sharing

 

 

 

参考文献

 

“2018 Nen Kuni ya Chiiki kara no Houkoku [Report from Countries and Regions 2018].”

Jehovah’s Witness. https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E6%9C%AC/2018%E5%A5%89%E4%BB%95%E5%B9%B4%E5%BA%A6%E3%81%AE%E5%A0%B1%E5%91%8A/2018%E5%9B%BD%E5%9C%B0%E5%9F%9F/

Hoshino, Susumu. “Bunka Masatsu toshiteno Yuketsu Kyohi [Blood Transfusion Refusal as

Cultural Friction].” Minzokugaku Kenkyuu [Japanese Society of Cultural Antholopology]. 66 (2002): 460-481.

Khosrokhavar, Farhad, and Jane Marie Todd. Radicalization Why Some People Choose the

Path of Violence. New York; London: New Press, 2017.

“Kono Sekai ha Dareno Shihaika ni Aruka [Who Rules this World?].” Jehovah’s Witness.

https://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E6%9C%AC/%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D%E4%B8%8B%E3%81%AB-%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88/%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%81%AE%E6%94%AF%E9%85%8D%E4%B8%8B%E3%81%AB%E3%81%82%E3%82%8B%E3%81%8B/

Kyouritsu Kirisutokyou Kenkyuujyo. Senkyou Handbook Q&A 130 [Missionary Handbook

Q&A 130]. Inzai: Inochinokotoba-sha, 1991.

Maruyama, Eiji. "Shuukyoujyou no Riyuu niyoru Yuketsu Kyohi to Rinshou Rinri [Blood

transfusion refusal and clinical ethics for religious reasons]." Kawasaki Ikadaigaku Fuzoku Byouin Iryou Rinri Kenshuukai [Kawasaki Medical School Hospital Medical Ethics Workshop]. Oct. 3, 2017. http://www2.kobe-u.ac.jp/~emaruyam/medical/Lecture/slides/171003kawasaki6.pdf

Meigata, Hidenori. “Chi wo Tabeteha Naranai [People Must Not Eat Blood].” Bokushi no

Shosai [Pastor's Study]. http://meigata-bokushin.secret.jp/index.php?%E8%A1%80%E3%82%92%E9%A3%9F%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84

“Tenshichou Mikaeru toha Darenokoto Desuka [Who is Archangel Michael?].” Jehovah’s

Witness. https://www.jw.org/ja/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88/%E8%B3%AA%E5%95%8F/%E5%A4%A9%E4%BD%BF%E9%95%B7%E3%83%9F%E3%82%AB%E3%82%A8%E3%83%AB/